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2016.10.21

ダンサーインタビュー 19:KEITA (S+AKS)

―まず出身から聞いていいですか?
 神奈川県の川崎市です。川崎といっても世田谷区寄りで、小学校から東京の学校に通ってました。

―部活とかってやってましたか?
 部活は高校生までずっとサッカー部やってました。

―ダンスを始めるきっかけは?
 俺らの世代はほとんどそうだと思いますけど、ダンス甲子園・ZOOという存在が大きかったですね。ただ、当時はダンスとかHIPHOPとか分かってなかったんで、スケボーとかBMXとかの遊びの延長で海外からやってきたものとして触れました。中学の頃ってファッションとかカッコイイっていうものに単純に憧れたりするじゃないですか。その一環としてダンスがありました。

―友達とビデオ見たりしてダンスを覚えたんですか?
 ビデオもその頃はあまりなかったですけど、一瞬映るところをVHSにいっぱい録画して何回も観てました。あとは、その当時すでに感度のいい先輩たちがドレッドにしたりして六本木の方で踊ったり遊んでたので、それを見に行ったりしてましたね。

―本格的にダンスをやっていこうと思ったのはいつ頃ですか?
 高校生のときに進路相談ってあるじゃないですか。俺はとにかくダンスがやりたいから「海外に行きたい!」って言ったんですよ。そしたら「な、何だ、それは?」みたいに先生もなっちゃって(笑)。うちも自営業やってるんで、とりあえず大学は行きましょうよってなって渋々行きました。けど、やっぱ満ち足りなくてクラブに入り浸ってました。

―親御さんからの反対とかなかったんですか?
 めちゃくちゃありましたよ(笑)。じいちゃんからの代なんで、いずれは三代目にって感じで育てられたし。けど、自分たちが自営やってるからこそ、自分でやるって決めたんだったら頑張ってみろって理解してくれました。だから、すげー反対もありましたけど、同じくらい応援もありました。

―当時活躍してたダンサーは?
 一番近いビックネームっていうとHIPNOTIC BOOGIEですね。その上にSTEZOさんやU-GEさんたちがMISIAダンサーズやってて、TAKUYAくんとかHyROSSIさんとか。もうスター軍団ですよね(笑)。
 あとは後にEXILEになって今はもうやめちゃいましたけど、MAKIDAIくん、宇佐美くん(USA)、まっちゃん(MATSU)とかが俺らのひとつふたつ上の世代にいたんで。キラキラ輝いてる先輩たちがめちゃめちゃいましたね。
 そういう先輩たちって超オシャレだし女の子にも超モテてるし、自分があんなふうになれると思えねぇなーと思って見てました。

―そういった方達と接する機会はあったんですか?
 当時は全くなかったですね! 喋りかけることすらできないですよ(笑)。今みたいにレッスンですれ違うこともないし、かなりデカイ壁ありましたよ。

―同世代ではどの辺の人たちと仲が良かったんですか?
 チームではZOMBIE KIDSとかPRIME TIMEあたりがモロ同世代です。同じ時期に同じモノを追いかけたチームですね。池袋bedにだいたい集まって、新しいファッションや音楽をダンサーもラッパーもDJもみんなで共有してました。

―当時流行ってたモノって?
 2000年あたりってちょっと毛色が違うHIP HOPが流行ってきて、ファッションでいうとXXXLくらいのデカイTシャツにバギーパンツでベースボールキャップ被るようになったりとか、それまでドレッドが主流だったのに一気にボウズになってイカツイHIP HOPっていう感じになりましたね。
 Missy ElliotやTimbaland、Pharrell (Williams)とかが出てきて音も打ち込み系で変則ビートになったし、ビジュアルも音楽もガラっと変わりました。  今までのダンサーはブレイクビーツとかミドルスクールに流れたので、最新のNew YorkのHIP HOPを追っかける人は少なくなりましたね。でも俺らはやっぱりそのイカツイ感じとかNew Yorkのそういうライフスタイルが超好きでした。カッコイイものに飛びつくのは当たり前でしょみたいな。逆に分からなかったらダサいよね、くらいに思ってましたし。もう、上の人とバッチバチでした(笑)。

―BASE HEADS結成はその辺りですか?
 そうですね。元々はどこのチームにも入れなかった出来損ない軍団だったんですけど(笑)。
 ダンサーの友達よりもラッパーとかDJの友達が多くて、そういう人達ってダンスのスキルっていうよりもNew Yorkの新しいムーヴメントに反応するんですよね。そういうのが俺らは面白くて実際New York行って黒人とコミュニケーションとったりして、これがHIP HOPなんだなって感じる延長線上にダンスがあって、BASE HEADSがあってっていう感じですね。

―遊びとしてのダンスが仕事になったタイミングは?
 当初俺らのショーケースをダンサーが見に来るってことはなかったんですけど、STEZOさんとかが見に来るようになったんですよ。あぁ、ちょっと興味持ってもらえてるのかな、超嬉しいなとか思いながらも、もちろん話しかけられずにいたんですよ。
 そしたらMISIAのニューシングルが出るんだけど振付をしないかって話が来て、絶対やるっしょ!ってなった訳ですよ。そのニューシングルの音が当時New Yorkで流行ってた打ち込みの変則ビートだったから、そういう音で振付できるフレッシュな奴いないか、みたいになったときに名前出してもらえたんだと思います。で、最初のお仕事がアーティストのバックダンサーに振付っていう(笑)。
 めちゃめちゃ憧れてた人達にいきなり振付やる俺22歳、マジで緊張は半端なかったです。やっぱり抵抗とかありながらも、自分の引けないところもあるし意見寄せ合ってやりましたよ。そのときはSTEZOさんに色々助けてもらいました。

―そこがターニングポイントですね。
 そうですね。そこからMISIAの事務所にスケジュール空けろって言われて、何も分からないままリハーサルっていうのも初めて経験して、全国ツアーに行ったりしました。もう、あっという間に未知の世界に突入しましたね。憧れてた先輩たちと一緒のステージにいるだけでも凄いのに、始めていく土地ばっかりだし、ダンスでお金もらうことも初めてだし、全てが素晴らしいっていう感じでしたね。

―それと並行してクラブの方でも活動してたんですか?
 やりまくってましたね。BASE HEADSでショーやってたけど、今みたいにダンスイベントがいっぱいある訳でもないから忙しいとは感じなかったですよね。とにかく楽しくてしょうがなかった。

―2012年にBASE HEADS解散となりましたが、その前と後で違いってありますか?
 BASE HEADSのときは流行の最先端をキャッチするのが最大の目的で、ファッションもダンスも曲も俺らが流行らせるっていう気持ちでした。全て俺らが発信するっていうのがBASE HEADSで、誰かが既にやってるようなことはやらないっていう考えに凄く凝り固まってましたね。最初の頃はうまく行くんですど、だんだん視野がめちゃくちゃ狭くなるんですよ。自分達が突き詰めれば突き詰める程、他を除外してしまうし。
 そこからBASE HEADSを解散して肩の力がふっと抜けたような感じで、色んな人の良い面がたくさん見えるようになって視野が広がりましたね。自分に変なプレッシャーかける必要もなくなったし、自分にとって良いペースでやれるようになったかなと思います。

―自由になったって感じですか?
 そうですね。でも俺、チームって好きなんですよ。だから無くなってみれば、それはそれで寂しいですよ。嬉しいことも皆で共有できるし、辛いことも皆で乗り越えられるから、やっぱりチームっていいなって思うこともあります。でも個人になって本当にやりたかったこととかもできるようになったし、う~ん、プラマイゼロみたいな感じっすね(笑)。

―現在どういった仕事をしてますか?
 基本はやっぱりコンサートがメインとしてあって、あとは多種多様ですね。テレビ番組のプログラムで海外行ったりとか、この間はファッションブランドのコレクションとかでモデルさんがウォーキングするのをダンスバージョンでやってみたりとか。今までやったことのないような形態っていう感じで、自分たちで作るっていう作業が多いですね。
 自分がやりたいなって思うものに対して純粋にできるっていうか、それがHIP HOPじゃなくても別に自分がいいなと思えばやります。

―縛られるものがない分、充実してる感じですね!
 そうですね。でも充実っていうのはその時々で変わってくるんで、不思議と縛られてるときの方が充実してるって感じる時も、もちろんあるし、一概には言えないですけど。
 まぁ、年齢に見合うようにっていうのは意識するようになりましたね。若い子らがダンスってカッコイイって思ってるようにHIP HOPってユースカルチャーな部分があると思うんですよ。でも自分の年齢って絶対上がってくから、いくつまで同じ事を同じように続けて行けるんだろうっていう疑問はずっと思ってました。そういうのもあって、やっぱり、その年齢でしか出せないフレーバーじゃないけど、立ち振る舞いとかを考えるようになりましたね。
 誰でもそうですけど、例えば二十歳を迎えたりとかって、その歳になって初めて経験するけど、それって一回しかないじゃないですか。そういう意味で今の自分もこれからの自分も、初めてその年齢になって「これカッコイイ」って思えるんだなとか新しい発見があるんだなって考えるとHIPHOPだけに執着してた頃より幅は広がってますね。だから、自分らしくしていきたいなって思ってます。

―若い子たちにメッセージはありますか?
 こうしろ、ああしろって言うのは人によって捉え方は様々だと思いますが...。ダンスっていうものを楽しめるために努力をした方がいいと思います。スキルを磨くことだけ頑張ると、いつか苦しくなったりとか負けたときに目標を失ってしまったりとか、本来は楽しむためにとかカッコイイ自分になるためにっていう枠組みでダンスがあったはずだから本末転倒になってしまいますよね。
 そういうのを常に意識した方がステキなダンスが踊れるんだろうなとは思います。自分の生徒にも振付っていうルールはあるけど自分を表現できるように好きに踊っていいよって言ってますね。

―KEITAさんの今後の目標ってありますか?
 自分の父親がそうだったからかもしれないですけど、やっぱ自分で会社を作りたいなって巡り巡って思ってます。今まで時間も体力も限られた中でやりたいことを色々伏せてきたんで、もう一回やってみたいなって、サーフィンとかもやってみたいなって思うし(笑)。
 俺が今までダンスを続けられたのって何でなんだろうとか考えて、レッスンだったらNOAみたいにスタジオが用意されてるから出来る訳じゃないですか。それが会社なり、スタジオなりは分からないですけど、そういった環境を用意できる自分になりたいなって思います。

―ぜひ期待してます!
会社つくったら一緒にお仕事しましょう(笑)。

―ありがとうございました!

KEITA
クラブシーンではBASE HEADSのキーマンとして活動。メジャーシーンではMISIA、MINMI、BoA、DREAMS COME TRUE、安室奈美恵、SUITE CHIC、倖田來未、SMAP、Crystal Kay、平井堅、MICHICO、May-J、MEILIN、JYONGRI、SUGER、ZEEBRA、DABO、hiro、W-inds、Sowelu、上戸彩等、数多くのトップアーティストのTOUR、PV、TV、LIVEのバックアップダンサー&振付を手掛ける。 TOYOTA[bB]等のTVCFにダンサー出演。 雑誌、[411][Olie][Woofin'][woofin' girl][movemente][DANCE STYLE][DDD]等、多数のファッション・ダンス雑誌へモデル出演

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