ダンサーインタビュー 17:SAYAのメイン画像

2016.6.14

ダンサーインタビュー 17:SAYA

ー生い立ちを聞かせてください(笑)。
 奈良出身で~す。半分関西、半分関東です。

ーダンスを始めたきっかけは?
 母親がダンサーだったので5歳から始めたんですけど、遊びみたいな感じだったので、どう始めたのか覚えてないんですよ。ちゃんと習い始めたジャンルはLOCKです。LOCK自体は7歳から5年くらいやっていました。

ーそれから杏仁豆腐ですか?
 杏仁豆腐はもっと後ですね、途中で芸能界も入ってたんで。小6から高1まで歌ってたんですよ。小6の時に「オーディションあるよ」って言われて、別に歌手になりたい訳じゃなかったんですけどね、なんかノリで(笑)。なので私中学もろくに行ってないんです。小6の記憶もあんまりなくて。

ー小卒ですか?
 一応中学は卒業してます(笑)。下積みが長くて、演技とかやってましたね。

ー芸能界時代のダンスはLOCKダンスだったんですか?
 全ジャンルやらされました。オールジャンルやらされて、しまいにはDJとかやってました。DJ、ボイスパーカッション、演技、歌、なんでもやってました。小学校の時からあんまり寝てなかったりとか、つらかったですね。あの時はつらかった~(笑)。

ー小学校が一番つらかったですか?
 小学校から中1の時はみんなが遊んでる中、自分は合宿に連れて行かれて寝ずに練習したりとか。すごい良い経験にはなりましたけど。それがあったからいろんな番組とかも出させてもらったりしました。

ーそこからまたダンスの世界に戻ってくる訳ですよね。
 高1くらいになって、中学校行ってない分普通の生活がしたいみたいな(笑)。だからぐれた時期もありました。一回ぐれて親に超反抗したりしちゃいました。ストレスの塊みたいな。

ー親シバいたりしたんですか?
 シバきましたね(笑)。いやいやいや(笑)。

ー親ともめて、LOCKやって・・・
 でも芸能界もいろいろあるから、いろんなものを知り、親とも話あってダンスに戻りたいと・・・。
 うちはけして裕福ではないんですけど、その中で親が無理をしてお金を出してくれてた部分があるんで恩返ししたいという気持ちになったんですよね。高2くらいの時に。なんで、ダンスをやるんだったら完全に自分の力でやるって決めてました。
 今はダンススタジオも若いダンサーもいっぱい増えて、いろんな人が教えられる時代じゃないですか。自分の場合は早く自立して、お金をちゃんと稼いで、まずダンスを認めてもらいたいとう気持ちが先だったんですよ。
 だからもう履歴書とにかく書いてました。10枚、20枚履歴書書いていろんなスタジオに持って行ってました。そして私のダンス見て下さいって自分で言ってました。ちゃんと認めてもらって教えをしたかったんです。

ーそのころ教えやってたダンサーは他にはどんな人達ですか?
 付き合いが長いのは皇帝仙人とブラザーボムです。けっこう私がダンスに戻ってきた時もいろいろサポートしてくれました。
 私が必死こいてやっている時もけっこう励ましてくれて、みんなよりもスキルも落ちちゃってるから、安田に行ってみんなと同じ土台にもう一回戻って、みんなで練習したりしてましたね。「みんなどうやって暮らしていってるのかな~」とか仙人に相談してました。

ーバイトしながらダンスやってたんですか?
 自分の気持ち的にはバイトをするってことがたぶん自分のモチベーションを下げると思ったんですよ。もうダンスで食って行くと決めてるんだったらプロを目指すしかないというとこしか見てなかったから、ここに戻っちゃ駄目だと思ってたんですよ。
 今までの下積みがあるから、それを信じて上だけを見ようと思ってたんで、とにかくダンス一本にしたかったんです。

ー今はいい環境になりましたね、ダンス。
 そうですね、キッズもね、いい環境にいるから私的にはいいな~って感じです。親のサポートも強いし、がっちり固めてるから・・・。
 でも昔の日本の環境も知ってもらいたいと思うから、子供たちにはやっぱりよく話しますね。レッスンでもよく話します。「今こんなになってるけど、お前ら当たり前に思うなよ」って(笑)。

ーLOCK、ストリートダンスとの出会いは大きいですか?
 いや大きいですね~。芸能辞めてほんとにいろいろやってたんですけど、ストリートっていうか、外で踊るしかなくて、そこで出会えた仲間もたくさんいて。杏仁豆腐のMIZUEもその一人なんですよ。MIZUEとは同い年でコンテストもいつもかぶってました。SAYA&RIEのRIEも駐車場で練習している時からの付き合いです。

ーみんな出会いは駐車場で? どこの駐車場ですか?
 相模大野です(笑)。伊勢丹の駐車場の前の「通路」って言われてた所そこでもうみんなとにかく練習していました。

ー相模大野の駐車場がダンサーの出会いの場ですね。
 あそこがあったからみんな輝いてるというか、あそこにいた人達みんなビッグになってるんですよ。MIZUEもそうだし、マリアっていう今ロサンゼルスにいる子もそうだし。

ー今をときめくすごいダンサー達が相模大野の駐車場の通路で一緒に踊ってたわけですね。
 そうです、今日本にいないんですけどアイ・ハセガワっていう子もいて、今ファレル・ウィリアムスの専属ダンサーになっててお金持ちですよ(笑)。

ーHIP-HOPはいつから目覚めたんですか?
 最初JAZZをずっとやってて、JAZZをがんばっていこうと思ったんですけど日本でこの人について習いたいっていうのがあんまりなかったんです。
 それでぽんとニューヨークに行って、JAZZをちゃんと習いに行こうとしたんですけど、一人のホームレスみたいな黒人、ブライアン・グリーンていうんですけど、彼と出会って、その人が言ってた言葉が心にバーンて響いて、私なんでJAZZやってんだろうって思っちゃったんですよ。

ー何を言われたんですか?
 最初その黒人がバレエのレッスン受けてたんですよ。太めでガタイもいいのにめっちゃバレエやってて、え~!と思いながら外から見てたんですよ。彼の存在をその時はぜんぜん知らなくて、ただ周りの人が「彼は神様だ」ってず~と言ってて、もう拝んでるんですよ。私なんも知らなくて、そんな有名な人なん?って感じで、そこにいるお姉ちゃんに「誰なんですか?」って聞いたら「ブライアングリーン。彼、オールジャンル踊れるよ」って言っていたんです。それで直接声かけてみたら、「僕のレッスンあるけど来れば?」って言われたんですよ。
 それでレッスン行ってみたら、最初にやったのがラテンだったんです。で、ずっとラテンやるのかなって思ったら、今度フロアだけやりだしてブレイキンみたいなことやらされて。とにかくいろんなジャンルやったんですよね。それで彼が言ったのが、
 「僕はダンスが好きなんじゃなくて音楽が好きなんだ。音楽はダンスのカルチャーじゃなくて、音楽のカルチャーがダンスだから、音楽のカルチャーに触れることが僕は好きなんだ。それを自分で表現することが僕はただ好きなんだ。この世に音楽は一つだけじゃない。HIP-HOPも最初はブルースがあってファンクがあってソウルがあってアフリカンがあって、その中にHIP-HOPがある。だから変な話、僕の生き方はHIP-HOPなんだ」って言ったんですよ。
 それでもう、キャーと思って、こいつやと。私昔からいろんな人に「お前はいったい何がやりたいんだ?」とよく言われてて、何がやりたいじゃなくて、私は音楽が好きなんだっていうのを日本で伝えたかったんですけど、なかなか伝わらなくて。
 JAZZをMIZUEとやってる時もうちらHIP-HOPが好きなんで取り入れたりしてたんですけど、HIP-HOPなのか? JAZZなのか?やりたいことがわからない、みたいに言われたこともあって。それでブライアンのその言葉が今の自分にはぴったりだなと・・・。
 あと「おまえHIP-HOPやりたいならサウスブロンクス行け」って言われたんですよ。

ーニューヨークでもかなり治安が悪い地域ですよね。なんか非常に危なそうですけど。
 もうノリで行ってしまえと思って、頑張って行ったんですよ。それでその時お金全部取られ、スーツケースも取られ。銃突きつけられたこともありましたし・・・。そういうことがあったから一度ニューヨーク嫌いになったんですよ。

ーそりゃそうでしょう。
 でもその後ブライアンに言われたのが、「日本はダンス界というものが出来上がっているかもしれないけど、サウスブロンクスがHIP-HOPカルチャーの原点の地で、ここでHIP-HOPが生まれたのはだいたい理由わかるでしょ? ああやって厳しい暮らしだからこそ遊びができたんだよ」と。
 自分もストリートで踊ってたから、そこもまた重なったんです。それで日本に帰ってきた時にMIZUE達にごめんねって言って、杏仁豆腐やめてHIP-HOPを一からやり直して、今、HIP-HOPやっています。

ーブライアン・グリーンの存在大きいですね。
 今の子達にHIP-HOPってなんぞや?って聞かれた時に答えられない人がほとんどだと思うんですよ。
 でも、HIP-HOPそのものっていうのをちょっとずつ知っていくと、なんか見えてくるというか、私はHIP-HOPのおかげで自分の道ができたので、もちろん感謝している人達はたくさんいるんですけど、一番はHIP-HOPに感謝しているんですよね。

ー今日はありがとうございました。


SAYA
〇career〇
TOKYO DANCE DELIGT vol.9 準優勝
OSAKA DANCE DELIGT vol.23 5位
JAPANDANCEDELIGT15 FAINALIST
Girls 舞遊伝 優勝
BEST ONE contest 優勝
HUDSON COP 関東 優勝
町田20歳 優勝
TV・流派R 全国女子高生選手権 準優勝
DANCE BATLE 茨城・BATLE ZONE 準優勝
THE SHOW 敢闘賞
中野ZERO準優勝(SAYA&RIE)

○TV・CM○
CMエースコックスーパーカップ
CM ピザーラ カニ編
TV 流派R
TV スーパーチャンプル
TV RAVE2001

CATEGORY NEWS同じカテゴリーの記事

TOKYO DANCE LIFE

TOKYO DANCE LIFEは従来のダンス情報はもちろん、衣・食・住・遊すべてにダンスを絡めた独自の視点で 新しいコンテンツを発信する新感覚のダンス情報系サイトです。当サイトは偶数月に発行されるフリーペーパーの記事はもちろん、全国のイベント情報(ショー・コンテスト・バトルなど)、今もっとも熱いダンサーの紹介、 ダンス練習にオススメのレンタルスタジオ、貸しスペースの検索、 発表の場となるイベントホールの紹介を含めた総合情報サイトとなっております。

東京ダンスライフ イベント、コンテスト、バトル、ダンサー、貸しスタジオ総合情報

ABOUT US

フリーペーパー「東京ダンスライフ」と当サイトについてのご紹介ページです。

EVENT INFO

全国のイベント情報(ショー・コンテスト・バトル)を紹介します。主催イベントの掲載も可能です。

DANCERS

現在のダンスシーンで活躍する日本を代表する各ジャンル(ストリート系)のダンサー情報ページです。

RENTAL STUDIO

個人練習から大人数まで用途にあわせたダンス練習にオススメのレンタルスタジオを検索できます。

STAGE LOCATION

イベントが行われるクラブ・ライブハウス・イベントスペースをご紹介します。

COMPANY

会社概要