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[Special Interview]東京バレエ団:宮川新大

2016.2.10

渡辺 理恵

宮川新大
2015年8月にソリストとして入団。12歳でジョン・クランコ・バレエ学校に留学し、ピョートル・ペストフに師事。11年ユース・アメリカ・グランプリ銅賞、12年北京国際バレエ・コンクール第2位、12年ヴァルナ国際バレエ・コンクール銀賞。海外でソリストとして「ラ・シルフィード」「ナポリ」「アレグロ・ブリアンテ」などを踊る。
photo:Nobuhiko Hikiji

ーバレエを始めたきっかけは?
 僕は六歳の時に習い事の中の一つで始めました。十二歳の時にコンクールで一位をとることができ、奨学金を頂けることになったのをきっかけに五年半ドイツに留学しました。その後モスクワ音楽劇場バレエに一年間いて、ビザの関係で一旦日本に帰って来ました。その後に、またニュージーランドに一年半行きました。
その当時はどういう気持ちだったんですか?
 もう全く分からないまま放り込まれた感じです。留学のきっかけとなったコンクールもバレエを辞めようかなって思ってたときに受けたコンクールでしたし、どうしても将来バレエをやりたいっていう気持ちはその当時は無かったので「あれ?」ってなりました(笑)。
ードイツでの生活はハードでしたか?
 まぁ、やんちゃとハードと(笑)。
ー寮ですよね?
 十六歳になると寮を出られるので、最後の一年から一年半は友達のアパートを譲ってもらって住んでました。やんちゃなこと話したらきりが無いんでやめておきますが(笑)。
ーレッスンは朝から晩まで?
 僕の行ってたジョン・クランコ・バレエ学校は十六歳までは朝は普通の学校に皆行くんですよ。ドイツの学校って大体十三時には終わっちゃうので十四時からバレエ学校のレッスンに行ってました。
ー授業で言葉は分かるんですか?
 例えば理科だと酸素とか水素とか出てくると辞書引いたりとかするんですけど、辞書引いても日本語でも分からないので(笑)。だからドイツ語で覚えちゃった感じです。英語もそこでやったりとか、フランス語もドイツの中学校で覚えました。それはバレエ以上にいい経験になったかもしれないですね。
ーすごいですね。
 僕の場合は早く行って良かったのかもしれないですね。変な概念無くバレエの世界に放り込まれたので。シュツットガルトって言えば世界で五本の指に入るほど大きなバレエ団なのでそれは今でも覚えてますね。学校で初めてペストフ先生のクラスを見て、人数は十人ぐらいなんですけど男性のクラスがありました。ジャンプしたりとか、そういうのを見て「あ、こういうものなんだ」って。
ーそれだけ若い時からドイツいったりロシア行ったりしてると精神的にタフになりそうですね。
 一人で居る事が苦じゃなくなりましたね。どこかにポっと放り込まれても語学が出来るのでそんなに苦労しなくなったし、外国人ってYES・ NOがはっきりしていて、そういった決断力は普通に話してても感じますが、僕も次第にはっきりものを言えるようになったと思います。
ーロシアに行ってからまた変わりましたか?
 ロシアとバレエの関係性を改めてみて、国を挙げてるのってやっぱりすごいなって思いました。そこで今東京バレエ団で監督されてる齋藤友佳理さんとも初めて出会いましたし、『ラ・シルフィード』をロシアでずっとやっていて、僕はキャスティングはされてたんですけど、ビザがおりなくて結局踊らなくて帰って来てしまったんです。それはずっと悔しい思いをしてて。
ー東京バレエ団はどうですか?
 ダンサーみんながすごく温かいのでそれはすごく感謝しています。僕は途中から入ったっていうのと日本の組織で働いたことがないので、バレエどうのこうのよりもそっちの方が心配というか、分からなかったので皆さんすごく優しく接して下さり、ありがたいなと思います。
ーいつ日本に帰って来られたんですか?
 昨年の九月ですね。ニュージーランドに元ABTのプリンシパルでイーサン・スティーフェルという監督がいて、その人に付きたくて僕はそのバレエ団に入ったんですけど、その人が辞めてしまったので僕もとりあえず一旦帰ろうと思って日本に帰って来ました。日本に帰ってきてからはどうしようか悩んでいたんですけど、友佳理さんが新監督になるということで友佳理さんの下でやりたいな、という気持ちが一番強かったので東京バレエ団に入団しました。
ーバレエが嫌になったり辞めたくなったりしたことはないんですか?
 無いっていったら嘘になりますけど、体力的に大変な時はあります。
ーやっぱりどんどん上を目指して?
 今より上手く踊ろうとかこの人より高く飛ぼうとかそういう競争心も大事ですけど、何よりも自分と戦ってる感の方が強いです。どんなに嫌でも辞めないのでやっぱり好きなんでしょうね。
ー好きじゃないと毎日出来ないですよね。
 ほんとそうですね(笑)。やっぱり舞台に立ってお客さんが拍手してくれるその一瞬の為だけみたいなもんなんですけど、その一瞬っていうのは舞台に立ってる人間にしか分からない喜びがあると思いますね。
ーまだお若いですけど将来やりたい事とかは?
 僕はやっぱり教えたいですね。ニュージーランドから帰ってきた後、地元のスクールで教えていました。僕自身教えるのがすごく好きなんです。ペストフ先生に教わるという貴重な体験をしたのでそのことを将来若い子たちに教えていけたらいいなと思います。でも教えるためには自分もいっぱい経験を積まなきゃいけないな、と思います。今はとにかく踊れるだけ踊りたいって思っています。
ー教える時とかに気を付けていることはありますか?
 教える時は、僕は自分がまだ踊れる身だから、見せることを心がけています。でも見せるって事はやっぱり上手くなきゃいけないし、説明の仕方とか、自分ではパって踊っちゃうけど感覚的にやることを言葉にしなきゃいけないので、子供には分かりやすく教えてあげたいと思っています。子供たちも憧れみたいなのから入ってくれたら一番いいかなって思いますけど。
ー宮川さんの経験からして、海外にはやはり行ってみるべきですか?
 バレエってやっぱり海外のものだから一回は海外に出てみるべきだと僕は思います。小さい時から海外で何年も踊ってきたので、いずれは生まれた日本で踊りたいという気持ちが生まれました。僕は海外でバレエ以外でも語学を学べたことなど、色んな経験を積んだお陰で今の自分があると思うし、若いうちに海外に行くのはプラスになると思います。
ー次は二月の『白鳥の湖』、四月の『ラ・シルフィード』に向けてですか?
 そうですね。『ラ・シルフィード』は僕にとって初めての主演になりますし、僕の大好きな作品で、友佳理さんとの出会いのきっかけになった作品でもあるので、友佳理さんがこの作品で僕をこういう形でデビューさせてくれたことにすごく感謝しています。『ラ・シルフィード』のジェイムズのヴァリエーションはコンクールでもよく踊っていて、色んなオファーをもらったりしていたので自分自身思い入れのある作品です。最初の主演作品が『ラ・シルフィード』でよかったと思いますが、まずは『白鳥の湖』が先にありますし、それが東京デビューになるので今はそれに向けて頑張りたいと思います。
ー最後に『ラ・シルフィード』に向けて、観に来て下さる方に観て頂きたいポイントやメッセージなどありますか?
 もちろん『ラ・シルフィード』っていう作品の物語とかジェイムズとシルフィードの関係性とかを自分なりの表現で伝えたいなっていう思いが一番にあるのと、僕個人としては、宮川新大のジェイムズを観て頂きたいなっていうのと、僕がどういうダンサーなのかを観て頂ければ嬉しいしです。色んな所で踊られている作品なので、出来るだけ研究していって自分なりの表現方法をしていきたいなって思うし、僕もこの作品で色々勉強したいと思います。課題はまだまだ沢山ありますけど、ぜひ温かい目で観て頂けたら嬉しいです。
今後のご活躍も期待しております。本日はありがとうございました。

東京バレエ団 「白鳥の湖」

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